団塊ジィジの日々是好日

つれづれに書くエッセイと出来事ブログです

今も心は翔んでます! (義母の電話の速射砲?に家内タジタジ)

【雑記・雑学・雑感】 57) 

 走る事を家内の実家山梨では「とぶ」と言います。

九州出身の私には、その言葉を義母から聞いた時、「とぶ?」 「飛ぶ?」「跳ぶ ?」??? でした。

現在92歳(年明け2月で93歳)になる義母のこの「とぶ?」は「走る!」事でした。

若いころから明るく元気だった義母は、当然「とぶ(走る)」事は得意中の得意だったようです。

そこで明るさと優しさと信心深さ、今も心は翔んでいる義母の事を書いてみます。

 

(目次)

  •  出会いと出来事とは?  
  •  詩吟の歴史  
  •  明るさをいつまでも  

 

 

 1.出会いと出来事とは?  

今でも家内と義母は長距離長電話です。

 1時間近くですが、家内は、ほぼ義母の速射砲?のような話しにただ相槌を打つだけで (ああそう! フーン! それで! などなどで)、家内が話ししている時間は、いつもたったの2,3分です。

幸い電話代はファミリーサービスで無料ですから、それこそ1時間ではなく1日中でも長話し(いや話しではなく“一方的な義母の演説?”)もOKです。

ところで私と義母との出会い?は、家内とのデイトで家内が足を痛めて入院する事になり、入院したその日に田舎から駆けつけた明るい人(義母)との病院での出会いが最初でした。

出会い以降は、この明るい義母と、それとは対照的で物静かな義父に食事を誘われれば、家内の家では、義母は自分は食べず、座らず、 「あれ食べたらどう とか これどう」とか、料理を次から次へと出して歓待してくれました。

結婚してからもこの明るさは、孫(私の長女長男)が小さい頃のやり取りの中でも見せてくれました。3歳前の長女がドラえもんのヘルメットをかぶり、あの「北酒場(細川たかし)」 を「きたア―の、シャカばx x x でわーーー」と、回らぬ舌で歌う孫でしたが、義母はそのそばで調子を合わせながら嬉しそうに楽しんでいました。

最近も自分で作った野菜やお菓子を、私達だけでなくその大きくなった孫にも(孫の分も)送ってくれていますし、帰省時にもこんなにと言うぐらいいろいろな野菜を山ほど持たせてくれる優しい義母です。

ただ家内に言わせれば、厳しい所もあったようでした。

義母は、同居していた姑との戦い?もあったようで、パートに出て働いていましたが、家内を含め子供4人を大学まで出す苦労は大変だったようで、何かと言うと“勉強しろ”“勉強しろ”と特に勉強にはうるさかったと今でも家内は文句?を言っています。

 

2. 詩吟の歴史  

義母は、詩吟の免状を持っています。

自転車で日本一周をしていた私の甥(妹の次男)は民謡や浪曲などに興味を持っていたために我が家に長逗留した時、義母の家に連れて行きました。

この二人早速気が合い“民謡「武田節」と詩吟「風林火山」”の先生(義母)と生徒(甥)になり 「甲ア―斐の山々 陽にイ―映アえて、、、」 から 「疾きことオ― 風の如しイ―、、、」まで

xx教室が始まります。

詩吟の事ですが江戸時代後期、一部の私塾や藩校では漢詩を素読(朗読)する際に、独特の節(節調)を加える事が行われたのが初めのようです。以降、多くの門人によって全国に広められ、幕末には志士達が悲憤慷慨を表現するために好んで吟じたと言われています。又、戦争中は国威高揚を助けるものとして奨励されました。

その後、健康志向の高まりもあり腹式呼吸での発声として取り上げられていますが、現在詩吟の流派は、数百有ると言われています。

 

3. 明るさをいつまでも  

 明るさと優しさと厳しさと、そして信心深い義母です。墓参りに行くたびに皆が墓掃除をするそばで墓をさすりながら故人の名を呼び声をかける優しい義母を見ますが頭が下がります。それは良い意味で私の家内もその影響を受け信心深い所があり、毎日の仏壇でのお参りや御茶御仏飯などの添え物は欠かした事がありません。

60歳過ぎには、一時半身が不自由になる脳梗塞も経験?(克服)したり、ちょっとせっかちな所もあるので、下り坂を急いでいてこけて手を骨折したり、畑作業の時そばの小川(溝?)に擦り落ちて尾てい骨を骨折したりと、活発に動き回るがためにあちこち怪我し整形外科に行く事なども多い義母ですが、耳がちょっと遠くなったかなあー と感じること以外は、相変わらず今も翔んでいます。

今は週二回のデイサービスに楽しそうに行っていますが、明るく家族の中でいつも場を賑やかにする義母ですから、デイサービスでも笑い声が絶えない時間を過ごしているようです。健康にも気を付けており日課としては、毎日血圧測定をちゃんと自分で測り、メモ帳に書いていて、時々訪問するとそれを私達に見せ、「数字を先生(主治医)に見せると“若い”と褒められる」と、自分の健康を私達にアピールしてきます。

40数年前の私達のデイトで家内が足を痛め入院した際の出会いで、この明るい義母を知り、その後対照的で物静かな義父を知り、この(家内の)家族と会えたことは私にとって最高に幸せです。

家内は私の父とは結婚に反対されましたが(10年間の戦争?)、私の母(実母、若くして52歳で亡くなる)に代わる、明るい義母(92歳)には長生きしてもらい、そしてこれからも婿さん(私)との末長いお付き合いを宜しくお願いします。

でわでわ

エッセイ・随筆  小説ブログ・テーマ
エッセイ・随筆 

にほんブログ村 家族ブログへ
にほんブログ村