【雑記・雑学・雑感】 56) 夏場の孫対応(ZOOMで先生?)で、4か月振りのブログです。 以前のブログにも書きましたが、ここへ来て私が父から聞いた我が家の“家紋”の話しやずっと気になっていた “家老職”の話しでは、「それホントだったの?」 と言う息子や孫達の冷ややかな目線をずっと受けていました。 が、“昔は家老職だったのか?”という疑問に、最近本籍地(佐賀)の図書館の担当者の方から新しい情報が入って来ました。 |
(目次) 1. 藩校の先生だったとは? 2. 藩校の歴史 3. 伝える事の今と昔(ZOOMの活用) |
1. 藩校の先生だったとは? 父の事は、私のこれまでのブログの (「家系図」江戸から令和まで)と(厳しくもあり笑いもあり)にも書きましたが、祖父や曾祖父の事は気になりながらも知らない事が多くほとんど書いていませんでした。 この祖父や曾祖父が生きた明治期から江戸時代に遡ったわが家の歴史については、“家紋は?”とか“家老職なの?”とかの疑問にも絡み、私が最も知りたい事の一つでした。 私が良く見る番組の一つにNHKのファミリーヒストリーという番組がありますが、それを見ているとやはり“家老職?”が気になっていました。 今回、幸い私の苗字が日本に2ヶ所しか無い(全国順位「5,912 位」)という少ない苗字でもある事から、家系の歴史調査はし易いかとも思い、図書館の担当者の方にメールで祖父と曾祖父の名前を伝え、分かっている事(家老職関係者の菩提寺と言われるお寺に我が家の過去帳があり、それをそこの和尚さんに見せてもらった事)などをお話しし調べて頂きました。 調査結果は、 ・市史には、天明期(1781~1789)には、藩校の教官だった事。 ・県の古文書研究会誌には、祖父の石高と役職名が書いてあった事。 などが分かり、家老との表現は有りませんでしたが、そこそこの地位には付いていた事がわかり、ちょっと安心? いや、話をしてくれた父を信じた?という新しい出来事でした。 |
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2. 藩校の歴史 室町時代末期から教える場としての寺子屋はあったようですが、藩校と言う学校の歴史は、あの徳川家光の後の江戸時代以降に各地に設立されたようです。 日本初の藩校は、1669年に岡山藩が設立した岡山学校と言われており、その後全国に拡がりました。 藩校では、7〜8歳で入学し、読み書きをそして武芸を学び、14〜15歳から20歳くらいで皆卒業していました。 読み書きでは、四書五経の素読と習字が中心でしたが、江戸後期には蘭学や各種武術などが加わり、幕末には、佐賀藩や薩摩藩などの一部の藩校では、医学、化学、物理学、西洋兵学等なども併設するような総合大学に近い教育内容にまで発展していったようです。 |
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3. 伝える事の今と昔(ZOOMの活用) 今回、先祖が藩校の教官と分かりましたが、この夏からZOOMを活用した孫たちの家庭教師?になった私が、教えるという事でわが家の歴史(藩校の教官)と繋がりがあるとは、さすがに、驚きでした。 そして繋がりはそうですが、昔(藩校)の対面で教えたこれまでのやり方とは違い、今は遠くても、すぐ隣で教えているようなやり方(ZOOM)で教える事が可能となっている事にも、時代の大きな変化を改めて感じました。 約50年前、軍事目的で研究が始まったインターネットという技術は、今回の私の出来事(藩校教官情報とZOOM体験)の中の、教え方と教える場を変化させ、伝える事の仕組み仕掛けを大きく変化させました。 奪われていく職種、職場が今話題になっています。 今後もこのインターネット(AI、ビッグデータ)技術の進化の中でも人の心理(学)対応の仕事などは奪われず残るものと言われていますが、それらの仕事が今後どう変わっていくのかーー興味津々です 家系(家老職?)に戻りますが、この春先から定年後の勤めも辞め時間も出来たので、(家老職か否か?)をもっと追及?したいと思っています、がそれも昨今のコロナ禍で現在は田舎(本籍地)に行き自分の足で調査する事も叶わず です。 やっぱり早くコロナが収まってくれれば と思っています。
でわでわ |