団塊ジィジの日々是好日

つれづれに書くエッセイと出来事ブログです

甥のハーフマラソン出場で思う事 ( 父と孫の接点は、広島にあり )

【 雑記・雑学・雑感 】 80)                                                                             

佐賀の私の妹がLINEを始めたようで、先日 私へトーク登録の連絡が来ました。 それまで 私のこのブログを更新する際は メールで伝えていましたが、LINEを始めたことで 私が書く日記風?の文や 撮った画像が送れるようになりました。 

このやり取りをする中で 最近、とんと やり取りをしていない 甥(妹の長男)の事をスマホで 何となく検索していると 何と 自治体名を冠したハーフマラソン大会の40代の部の 成績表の中に 甥の名前がありました。 その大会には、4年前にも参加しているようで その時のタイムと比較して見ると この4年前のタイムより30分近く速くなっていました。

この甥と 私の父との間には、広島(県)という 思い出の地という共通点(場所)もあり、この孫(甥) と じいちゃん(私の父)の あれこれについて書いてみます。 

 

(目次)

1. 甥と父と広島と 

2. 電気バリカンの歴史 

3. 甥に期待すること 

 

1. 甥と父と広島と 

この甥は、大学時代を広島で過ごしました。 そして、私の父も、台湾での生活(タバコの葉の製造会社経営)から 敗戦後は、佐賀に引き揚げ 広島に本社と工場を持つ会社で 製品の技術研修を受け西九州地区の駐在員になりました。 この甥と父 二人の間の広島には50年間という時間の差はありますが それぞれの目的(勉学と技術習得)のために 同じ広島の地で ある時期を過ごしていました。

甥は、今 公務員として 仕事をしています。 この甥は、小さい時から少林寺拳法を習い 東京での競技大会に弟と一緒に出るなど いろいろな面で活発で 体を動かすことは好きでした。 それが今も このマラソンを続けるなど運動をしているようです。

父は、広島の会社での技術研修の後は、駐在員として佐賀に戻り 私たち4人家族を養うために この会社の製品(電気バリカン)を 今で言う セールスエンジニアとなり 販売とサービスを職業としていました。

この電気バリカン 今は聞きなれない言葉(製品)ですが 昭和の30年代から50年代まで 町の床屋さん(理容店)で 髪を散髪/調髪する際に使われていた小さい電子機器です。 この機器が出てくるまでは ほぼ 普通のハサミで散髪する という時代でしたが、この機器が普及することで 調髪時間も大幅に短縮されました。

 -------------------

2. 電気バリカンの歴史 

電気バリカンは、構造的には 電磁式で すでに1919年(大正8年)にアメリカで開発されていました。 それが日本を含む世界へ普及したのは 第二次世界大戦後で アメリカでこの製品を知り 戦後日本で製品化したのが 広島に本社を構えていた会社の経営者で、私の父は そこで研修を受け 駐在員になりました。

この電気バリカンは、交流100Vを電源にして、電磁式ですから 散髪をする刃先(可動部)を一定の振動数で 左右に振動させ 固定された刃との間で 髪を刈っていく(髪を切る)という製品で 日本でも あっという間に拡まりました。

-------------------

3. 甥に期待すること  

 広島という場所が、我が家の(孫とじいちゃん)の間に ちょっとした繋がりがあることをいろいろ書きましたが、この甥に期待することが 二つあります。 

ひとつは、甥は もう20年以上 公の仕事(公務)をしています、そして 自分を鍛えるという意味で 地元自治体主催のマラソンなどにも参加しています。 で、これからは、公務の延長で 行政府の長(トップ)として その自治体をまとめる仕事をしてほしいなー と思っています。

そして、もうひとつは、私の妹も もうすぐ後期高齢者です。 2千坪と言われた旧家に嫁ぎ、複雑な家系の中でいろいろな調整役もやってきました。 そろそろこの甥には これから先を共に暮らす 連れ合いを見つけてほしいなー と思っています。 そして 私の妹が少しでも楽ができるような その連れ合いを含めた温かいほっこりした家庭を作ってほしと思っています。

この甥に私は いろいろな意味で 以上のようなエール?を送ると共に 今後も その公私の活躍(両立)を 大いに期待しています。 でわでわ

にほんブログ村 家族ブログへ
にほんブログ村

エッセイ・随筆  小説ブログ・テーマ
エッセイ・随筆