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少子化で思う事 (母が戦時下に助産婦の資格を取る)

【雑記・雑学・雑感】 31) 
ラジオを聞いていたら大正9年生まれの方は100歳になります、という事でした。
亡くなった母は大正8年12月31日生まれで、52歳で亡くなりましたが、生きていれば、今年で101歳なんだなあ と思いながらラジオを聞いていました。
我が家には、母が戦時下に取得した古い二つの合格証書があります。
少子化対策をどうするかと言われている昨今ですが、この合格証書と母の事について書いてみます。

(目次)
1.  母の思い出  
2.  看護婦試験の初め、助産婦試験の初め  
3.  少子化について思う事

  
1.  母の思い出 
昨年2019年の出生数は83万人と言われています。
時代が昭和に入っての20年間近くの出生数は、毎年昨年の2.5倍以上の200万人をずっと超えおり、当時戦時下にあった日本では、「生めよ増やせよ」と言われていた時代でした。
母のこの二つの証書は、看護婦試験合格証書(昭和13年)と、その5年後に取った産婆試験合格証書(昭和18年)です。
佐賀唐津の産婦人科病院で働き出した母は、まず看護婦の免許を取り、そしてその時代に応えるように産婆の免許も取り、病院の婦長として勤めていたようです。
第二次世界大戦後結婚し私が生まれましたが(昭和23年)、当時の町の衛生環境はそんなに良くない為、母はそれまでの病院勤めの経験から、我が家には、あの独特の匂いがする消毒液(クレゾール液)を入れた白い洗面器が置いてあり、外から家に帰った時は必ずその洗面器で手を洗う事を義務付けられていました。

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2. 看護婦試験の初め、助産婦試験の初め  
 わが国に助産婦、看護婦、保健婦などの資格制度ができたのは、明治32 年(1899年)の産婆規則(のちの助産婦規則)と大正4年(1915年)の看護婦規則、そして昭和16年(1941年)の保健婦規則によって制度ができたようです。
 そして受験資格(要件)は、18歳(助産婦は20歳)以上 の女子で、一定期間の修業ののち地方長官の試験を受けるか、指定された学校講習所を卒業することが地方長官の免許を受ける要件となっていたようです。
 ちなみに看護教育に先駆けて規制に着手したのは産婆教育で、明治7年(1874年)の太政官指令 に基づき「医制」76カ条が発布されそのうちの3カ条が産婆に対する規定であったようです。

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3.  少子化について思う事 
消毒液を準備するように、母は衛生面では人一倍気を遣うような神経質な人でしたが、反面意に沿わないような事があれば、父でも時には追いかけるような気性が激しい人でした。

しかし、病気(腎臓病)には勝てず、約50年前に今では考えられないような51歳の若さで亡くなりましたが、その数年後には医学も進み人工透析(血液ろ過)という治療方法が確立していますので、母ももう少し後で発症していれば亡くなる事も無くその治療方法で延命できたのかもしれません。
少子化対策の話しになりますが、3人の子供を持つ私の娘の話しでは、「出産時の費用が思いのほか高く、このままでは子供を産むという人は大変だと思うよ」 と言っています。
少子化の影響は、現在では企業の人手不足(経済の伸び鈍化へ)や年金問題(原資の確保をどうする)など、30年後50年後100年後の日本にとっては大問題です。
費用について、高校や大学の授業料の無償化が最近言われていますが、人は職業の選択についてもそれぞれが持っている能力を活かすいろいろな方策(訓練など)が大事だと思います。 一律に無償化支援で皆を高学歴化することがそんなに大事なのでしょうか。
私は高学歴化を支援するより前に国力を維持(拡大)するために、出生数を確保(増やす)支援をまず考えるべきだと思います。
そして、二人目三人目誕生の為の託児所の充実(支援)などを本気で考える時期に来ているのではないでしょうか。
母が看護婦や助産婦として働いた産婦人科病院は、現在100年以上(1918年創業)経っており、今でも営々と産婦人科を続けておられます。
3代目院長の言葉として『育児こそ世界で(もっとも)重要な仕事である』と、病院のホームページの最初のページに書かれています。
母は80年前、1代目院長と2代目院長の下で勤務していたようですが、100年続くその産婦人科病院で、ある時期その一助となって働いた母を今は自慢に思います。
ちなみに我が家の幼稚園年長の私の孫娘(母から見ればひ孫)は、お人形(リカちゃん)を持ちながら「わたしナースになるのよ」と言っています。
母から2世代飛びますが(母→子→孫→ひ孫) ひ孫のその言葉を(看護婦・助産婦)の後継ぎ?誕生 と母は喜んでいるのでは と思っています。
“でわでわ”

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