【雑記・雑学・雑感】 21)
我が家には、1911年(明治44年)の台湾の写真集(厚さ3mm)があります。
その写真集には、台湾が日本領であった当時の台風被害の様子(写真と記事)が載っており、父の誕生(年)の出来事ですが、その後の人生をも感じさせるような写真集でした。
(目次)
1.写真集には
2.辛亥革命とは
3.台風、今昔
1. 写真集には
手元にあるその写真集には、1911年(辛亥)8月31日から9月1日にかけての台北中心部を襲った猛烈な台風の被害の様子(写真と記事)が細かに載せてあり、全壊半壊を合わせて約6千戸の家が壊れた様です。
父の話しでは、当時我が家はタバコの製造工場を台南で経営していましたが、祖母(父の母)の出産は台北でという事で、父は台風の日のほぼ1ケ月前の辛亥革命前夜の台北で生まれ、この台風に遭遇し、当時特定の関係者(家)にしか配布されなかったこの写真集を誕生記念としてもらったとの事でした。
この写真集は、「表紙(台風の凄さを意味する絵)」に続き、諱「惟仁(清和源氏の始祖)」と書かれた書が続き、その後には被害の状況を写した「写真(30枚)」と刻々と変わる様子が書かれた「風水害の記録」が記事として載せてあります。
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2. 辛亥革命とは
父が生まれた1911年は、辛亥革命の年です。
孫文率いる革命軍が、それまでの君主制(清国)を倒し、共和制(中華民国)を樹立した年です。
中国(清国)は、阿片戦争(1840年)から始まった欧米列強との対峙、日清戦争(1894年)での対日本戦敗戦、そして義和団の乱(1900年)での8ケ国連合軍による北京占拠等があり、その後満州族(清)と相対する漢族の決起が起こりこの辛亥革命に繋がりました。
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3. 台風 今昔
父は、東京での学生生活を除き、誕生から30数年間を台湾と戦地で過ごしました。
今、父はすでに亡くなり私の手元には台湾引揚者の名簿が有ります。
多分誕生から幼年期、青年期、新卒からの勤務時期と台湾での思い出は尽きなかったため、出来ればいつかは台湾に戻りたい(訪問したい)との思いは強かったと思います が戦後は1度も台湾を訪問することなく73歳で亡くなりました。
昨年台湾の自主製作映画「湾生回家」(監督:黄銘正)が都内で有り見てきました。
映画の内容は、歴史に翻弄された湾生(戦前の台湾生まれ約20万人)の運命を描いたドキュメンタリー映画でした。
順風だった戦争前までとその後の戦争、そして戦後の引揚げ(私財を置いての強制送還)後の大変さなど、映画の中で語られる人々の事実と対比させながらですが、父が大変な時代を生きてきたというその前半生を垣間見ることが出来ました。
1911年の台湾の台風も有史に残るほどの台風だったようですが、日本でも先日の台風15号や19号はこれまでに無いような大きな被害をもたらす台風になりました。
100年前の台風と単純な比較は出来ませんが、100年間の温暖化の影響が今後もより強く(酷く)なっていくようです。 大丈夫でしょうか。
“でわでわ”