団塊ジィジの日々是好日

つれづれに書くエッセイと出来事ブログです

唐津と伊万里 (母のお骨は50年で土に還しますか)

【 雑記・雑学・雑感 】 73)                                                                             

有田(佐賀)に住んでいる妹から伊万里焼(和菓子)が送られてきました。 お願いしていた有田焼の干支の額皿と共に 嬉野茶も一緒でした。 

先日は、九州北部では珍しい いわゆる最近の 線状降水帯に見舞われ 伊万里と唐津の間にある 徳須恵川が氾濫しました。 私の記憶でも、この地区が このような洪水に見舞われたのは 約56年前(昭和42年)に 死者まで出た伊万里川の氾濫以来ではないかと思います。 唐津から伊万里に嫁いできた母も亡くなって50年が過ぎました。

 

(目次)

1. 何もなかった この半世紀 

2. 土に還すこと 

3. 地球の破壊を身近に感じて 

 

1. 何もなかった この半世紀 

唐津も伊万里も 風光明媚な海沿いの町です。 今、富士山が見える富士河口湖のお墓で眠る母は 唐津で産院の看護婦と助産婦をしていた時 隣り町の伊万里に嫁ぎ 私たち兄妹二人を生み 家族4人の生活が始まりました。 52歳で亡くなった母の思い出は、二つ。 一つはチャンポンが美味しかったこと そして、消毒液クレゾールの匂い。 

戦後皆がつつましく生活していた時ですから このチャンポンの(色とりどりの)豪華さは 味と共に たまに作ってくれた日は にぎやかな夕食になりました。 そして、クレゾールの匂い これは母が産院に勤めていたことと 私が難産の末に生まれた子だったこともあり まだ衛生状態も良くない時代だったため 我が家には あの白いクレゾール液が入った洗面器がありました。

そんな中 あの伊万里の大洪水がありましたが その後は、我が家も大した出来事もなく平穏な日々が続いていました。 あの1970年の大阪万博にも 母と妹と一緒に行きました。 でもその翌年 まだ人工透析という腎不全の治療方法が無く 入院5か月で52歳の母は、急に亡くなりました。 そして何もなかった その後の50年(半世紀)が過ぎました。

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2. 土に還すこと 

人は死して50年経てば お墓のツボのお骨も 土に還すと聞いています。 

もともと土葬だった日本の風習が火葬してお墓に納骨するようになるのは鎌倉時代と言われています。 法律では今も土葬は可能なようですが、条例で公衆衛生上の事もあり 火葬して指定の場所(お寺のお墓など)へ納骨するように になっているようです。

では なぜ50年か これも33回忌で 土に還すという地域もあり また55回忌で という地域もあるようです。 尚、50年ぐらいでは お骨は土と一体化しないようです。

世界には土葬が多い国もある中で 日本は ほぼ100%火葬ですが その理由は やはり日本は国土が狭く 墓地も縦と横に場所をとる土葬から 火葬して納骨に なったようですね。

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3. 地球の破壊を身近に感じて  

  唐津の徳須恵川の今回の洪水から 母の思い出を書きましたが 戦後78年経ち 地球の温暖化も大きな問題(地球沸騰化)になって 自然災害が多発し 気候システムが臨界点に達しているという見方があります。 そしてそう言う中で ウクライナ侵攻など世界の人の動きも 何かきな臭い状況になってきました。

 人と人との戦いも大問題ですが その前に この地球の自然(環境)をもっと大事にしなければ、影響は、人と人との戦いどころではありません。

 今、日本は、食料の自達化 とエネルギーの自達化 に向けた必死の努力が必要です。  食料は、旧耕作地の再開拓 そして エネルギーは、再生可能エネルギー(太陽光、風力、水力、地熱、バイオマス)の割合拡大 です。

 過去12万年で 「最も暑い1ヶ月」 と言われる毎日ですが 今日もヘンテコな動きをするのが 台風6号です。  1日3億円いや4億円近いというお金が 国会(議員ほか)では運営費として掛かっています。 政治の質が問われている中 もっと現状を直視し 日本を再生する 官民の意見や考えが直ぐにでも実行されるような仕組み仕掛けが必要です。  暑さや台風など 臨界点を超えた自然の変化は それを待ってはくれません。 

あっ そうそう 私が 50年経った母のお骨を 土(自然)に還すこと 早々に有田の妹と相談して決めます。  でわでわ

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