団塊ジィジの日々是好日

つれづれに書くエッセイと出来事ブログです

我がブログ100話を前にして(会社員時代/前編)

【 雑記・雑学・雑感 】 97)

 

 7年前(2019年)から書き出した このブログ【 雑記・雑学・雑感 】も あと3話で100話 と言う事で 78歳の誕生日(100話になるか?)のブログをもって 私のブログの最後にしようと思っています。

 

 前回(96話)は、(子供の頃/学生時代)でしたが、今回(97話)は、会社に入り、結婚し、家内には ”我が家は、母子家庭かー” と、呼ばれるぐらい 会社人間だった(会社員時代/前編)を書いてみます。

 

 

( 会社員時代/前編 )

 

*** 高専を卒業し会社に入社した 翌年の1970年(昭和45年)は、 “世界の国からこんにちは” の歌で、知られた万博が開催され、母妹と共に見学しました。 翌年、母は腎不全になり、半年足らずの長崎大学附属病院での治療入院で 52歳の若さで 亡くなりました。 現在は人工透析という治療方法がありますが、当時は 腹膜還流と言う方法しか無く、その治療の途中から 母は、治療液の副作用で両耳が聞こえなくなりました。

 

*** 入社した会社は、当時では 珍しく C&C(Computer/コンピュータ and Communication/通信) の“C”を 標榜する会社でした。 ですが、私が学生時代に専攻した分野は、別の “C(control/制御)”で、その当時 会社は、将来への見通しとして産業機器の制御分野にも関心が高く、卒研で サーボ制御 をテーマに試作研究もしていた私は、会社のまだ新しい部門に配属されました。

 

*** 会社(府中事業場)での私は、仕事以外 飲む(酒)以外は 特に楽しみの無い毎日でしたが同期入社の友人が 長野(松本)出身で 学生時代から、ちょこちょこ穂高や槍など3000m級の山に登っていたようで 彼は、数百mの低い山しか知らない私を 山登りに誘ってくれました。 最初は、東京近郊の山でしたが 段々と本格的になり、冬山含め 毎月 南、中央、北のアルプスに行くようになり 特に府中から近い 八ヶ岳には 職場の方から 私達は “八つ馬鹿”と言われるぐらい土曜午後から日曜にかけて しょっちゅう行っていました。 その彼も、コロナで記憶喪失に見舞われ 今は、徐々に回復しているようです。

 

*** 私が配属された職場は、機械工場で稼働する 旋盤やフライス盤などの工作機械を 自動的に動かす制御装置で 通称、N/C(Numerical/Controller)装置と言われ 加工効率(速度と精度)を いかに向上させるかが命題でした。 装置開発の過程では その時代の趨勢であった装置のデジテル化にも挑戦し それまでのアナログサーボ方式を デジタルサーボ方式に変え 何とか開発を進めましたが製品化までは、思いのほか時間がかかりました。 

 

*** 入社して10年後 縁あって佐賀県出身の私は 山梨県出身の女性(家内)と社内結婚をしましたが、これが、父との“10年戦争”となりました。 父は、“地元から嫁はもらえ” の一辺倒で、女性を父に会わせるため一緒に帰省しましたが、顔は、外で見るだけで 家の中には入れてくれませんでした。 結婚式や披露宴も、参加したのは嫁の一族だけで 婿(私)一族は、妹も含めゼロでした。 そして、付合い、結婚、子供(出産)、海外駐在(家族帯同)などを経た10年後、父は、病気て亡くなる数週間前に 嫁の家族兄妹、そして初めて会う私達の子供二人を 入院先に呼び 許してくれました。

 

*** 今テレビで あのトランプとネタニヤフが イランを攻撃し始めた と伝えています。48年前 私は、結婚して長女が生まれる前、会社の海外プロジェクト(イラン、ブラジル)の仕事で ブラジル郵便自動化装置プロジェクトの現地工事でブラジリアとサンパウロに2年間駐在しました。 私が先に赴任し 家内と生まれた長女は 3か月後の別便で24時間強の長旅のあと ロサンジェルス、リマを経由し サンパウロに到着し、街中の高層マンション(24階)の12階で、1年半の間、一緒に生活することになりました。 そしてマンション内のプールでは、イタリア系のゴールド君が長女の額への初キッス と言う出来事もありました。

 

 

( 昭和45年/1970年 ~ 昭和64年/1989年 )

 

*** 日本も1970年代に入ると 田中角栄首相の列島改造論の政策もあり 交通網も東海道新幹線の開通以降 山陽、上越の新幹線も次々と開通するようになりました。 そして、経済は、産業界の努力と共に 国の景気刺激策もあり円高が進む中で 世で言う“バブル景気”と言う時代に入りました。 そのころの私の給料は 今では考えられないほどの賃上げとなり たった3年間で月給が2倍近くになりました。

 

*** 今でも世界でトップシェアと言われているF社という会社があります。 このF社は、私が入社以来製品開発していた数値制御装置(NC装置)の会社で、いろいろな工場の中の機械を制御する装置を開発していました。 私の会社は、50年前に、このF社と製品開発で競争していましたが、その15年後には 競争に負け いわゆるM&A という事業戦略の中で この事業を撤退しました。 敗退した理由は、いろいろありますが 装置の一つであり、性能を決めるというサーボモータを 他社製を活用し開発した事です。 モータを 外から見れば 鉄の塊で、(トンいくら)という安い部材ですが F社は、この部材に 機械の価値を決めるいろいろなノウハウを入れ込んで製品化するという戦略に 一早く着手し市場に広げていきました。 このモータの開発製品化が今もこの業界でトップシェアを維持している理由だと思います。

  

  

( 今、思う事 )

 

*** ついに 高市が 武器輸出を という動きになってきました。 これまでは ウクライナ、中東、アフリカ での個別の地域紛争でしたが ここに来て 衝突が世界各地に拡がり いわゆる第三次世界大戦にも となりそうですが 日本も巻き込まれないでしょうか。 18世紀後半から始まった産業革命以降 徐々に豊かになってきた世界の人々の心に お金に対する執着心も徐々に高まり それが 20世紀初め(約100年前)には 金融恐慌、世界大恐慌となり 第二次世界大戦になりました。 現在もディール や 関税 と言う お金に絡むトランプの言葉で 世界が混乱していますが、100年前と同じ恐慌が 又、日本や世界で繰り返されそうです。

 

*** AIとは? 工業用パソコンの開発もやってきた 私が知る事は、AIは、単なる知識の集まりで、それらを活用(応用)したものです。 これからの若い人にとって必要な事は、新たに作り出す知恵や知識は、やっぱり人間が 人間とのやり取りの中で 地道な努力をして作り出すことと思います。 私が自分の失敗も含め体験からわかった事は、 日々の実務(実体験?)の積み重ねが大事で 人と共に、そして人とやり取りする中で得た事の継承が重要だと思います。 だから若い人には、知ることをAIに頼るのではなく人(経験者など)とのやり取りを大事にし その中で実務を経験する中から 自分のものとしてそのノウハウを取り込み活用してもらいた。

 

*** 父との闘い? それが良かったのかどうか、、、 家内は私以上に 頑固?かなあー と言うような我が家ですが 今も、お互いマアマアで 来年、いや再来年は 金婚式 です。 日本も世界も大きく変わり出しました。 我が家も 子から 孫へと人の繋がりが出来てきましたが、 戦いで人を簡単に殺すという 人の尊厳が軽んじられる時代になって いや又、なってくるのでしょうか。 一人一人の人の命を より大切にし 世界の平和と 人の幸福が続くように、、、 でわでわ 

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