【 雑記・雑学・雑感 】 92)
神無月(10月)も 今日はもう月末になりました。 孫(女/高校3年生)が 私立大学医学部付属病院グループの看護専門学校の看護学科に合格したとの知らせが入りました。 私の亡くなった母は 看護婦で、助産婦でしたので、ひ孫がその思いを継いでくれるようで 喜んでいる と思っています。
今月は、国会では 日本国民の有権者の1%以下の与党議員の選挙で選ばれ 更にその割合の半分以下で選ばれた議員が 国の代表になりました。 約10年近く、円安で世界の中で国力をずっと低下させた続けた政権代表の 継承者のようですが、落ちた国力を 維持いや向上できるでしょうか。
最近あちこちで 自動運転バスの実証運転が実施されたり、開発のニュースを聞きます。 8月には、東京都が実施した実証運転で 八王子(甲州街道)で街路樹に衝突し その後、運航中止になりましたが 事故原因は、不明のようです。 海外では、アメリカ横断(4000km)をしていて スタートしてわずか 100km以内の所で 路上のちょっとした障害物に衝突する事故を起こして中断 など、人命の尊厳を無視して動き出した自動運転のアレコレについて 書いてみます。
(目次)
1. これからどうなる
2. 看護師の歴史
3. 挑戦に期待する事
1. これからどうなる
自動制御やコンピュータなどロボットに近い製品開発に30年以上関わってき私ですが、最近の 多くの人を運ぶ 自動運転バスのニュースには、大きな疑問を持っています。人間以上の能力を持つような ロボットや それに代わる何かが出来上がれば(生成されれば) まだ、自動運転かあ、、、ですが、人間の能力(感性の鋭さと 瞬時に判断する力)を持つ自動運転(車)が、これから先、出て来るとは とても思えません。
自動運転の レベル4(無人運転)の車が アメリカのある特定の都市で走り始めているようですが 治安も悪く銃の携帯が許され 人命を軽んずる国なので、たまたま道路環境が良く 自然災害も少ないので可能ですが 日本のような狭くて縦横無尽な混雑するような道路で そして、地震や豪雨(洪水や雷)等で 自然環境も大きく変わる国では、その変化と対応を瞬時に判断できる人間の能力(感性やメンタルを含む)を超えられるような ロボットは、当面出てこず それらの対応は出来ません。
2. 看護師の歴史
看護の歴史は、傷病者への世話が 看護であり、紀元前に記述された医学書にも その役割が書いてあるようです。 それでは、職業としての看護師の話としては クリミア戦争の時のナイチンゲールが有名ですが それは、19世紀に入ってからで、彼女の、「看護 覚書き書」が 看護学校の始まりに関係し その後の普及に繋がったようです。
日本の看護師は、明治19年(1886年)に 日本赤十字社が 博愛社病院を設立したことが始まりで、その仕事の最初は 戦時救護が目的でしたが、明治24年の濃尾大地震の救護から、災害時救護も目的となりました。 ちなみに私の母が看護婦試験に合格したのは、昭和13年で 日中戦争(南京事件)対応など、戦時救護の強化などの大きな波が出てきたころではないかと思います。
3. 挑戦に期待する事
自動運転の現状と これからについてですが、私は レベル4の実用化は、2030年頃では、との見方がありますが、とてもとてもそんな5年10年の短時間で 瞬時に状況判断と その対応(行動)が出来るような 人間並みのロボットが出来上がるとは考えられません。 先ほどまでに書いた 道路環境や自然災害 という課題だけでなく、目に見えない電気の世界の変化(電圧などの変動、電磁障害などの ハード面)だけでなく ハッキングなど コンピュータシステム障害に関連する ソフト面の障害も 最近は、頻繁に起こり始めました。 そして、運用に絡む法律面からの整備も まだまだで 課題は山積です。 これからの事については、自動運転(無人化)ではなく 高齢者対応などを含めた 有人の運転支援面での挑戦(開発)を期待します。
先ほど、孫(女)の看護学科への合格の事を書きましたが この孫は、小学生から中学生までの8年間 テニスをずっと続けるなど 我慢強い子で これから先 看護師になるまでの 大変な時期(実務経験など)や 病院での勤務など 生まれ持った頑張りで なんとかやり抜いてくれるのでは と思っています。 最近は、家のピアノで童謡を弾くなど 余暇の楽しみも 作り出した様です。 看護学科を卒業したら看護師の仕事も持ちながら 余暇も楽しむという これからの人生に いろいろに挑戦する事を期待します。 でわでわ