団塊ジィジの日々是好日

つれづれに書くエッセイと出来事ブログです

冬 つれづれに(祖父の事, 祖母の事 そして, 今 )

【 雑記・雑学・雑感 】 85)                                                                             

 先日、ひょんなことから 祖父の名前をネットで検索していたら、思わぬことが書いてありました。 明治期の著名人と祖父との関連でした。 そして、先日は、我が家に遊びに来た息子に 祖母の話をしていたら 祖母の実家(本家 商家)の系譜に書いてある初代の生年月日(安永7年/1778年)を見て、息子が 「ああ、これ徳川家治(10代将軍)の頃だね」 と その息子の博学?さ を知りました。

 父や母については これまで あれこれと書いてきました。 しかし、その顔も知らずに亡くなった祖父と 高齢で床に伏していた祖母の事しか知らない 祖父母ですが この二人の事についても 今回のネット情報や 父、母、伯父、従兄から得た資料と話しの中で知った 我が家の100年以上前の歴史を 書いてみます。 

 

(目次)

1. 祖父の事 そして 祖母の事 

2. 約100年前の出来事 

3. 歴史から知る事、 そしてこれから 、、、 

 

1. 祖父の事 そして 祖母の事 

 我が家の家系は、第二次世界大戦終結まで日本統治領であった 台湾で事業を営み 戦後 父は引き上げ船で帰国しました。 今回、祖父の事を ネットで検索するきっかけとなったのは、祖父の名前(姓名)が 姓も 名も 普通には無い名前だったので 何かその名前で検索すれば 何かが わかるかなあー でした。  

 我が家の姓は、全国で 5900位、人数1600人 で、姓(苗字)そのものもが少なく、更に祖父の名の方は 父(長男)の名の上に一字を冠した名で(いや、祖父の名から その冠した一字を取った名を 祖父は長男につけたのか?) と これも珍しい?名でした。 

 そして、 ネットの検索結果は、祖父が台湾で 児玉源太郎 陸軍大将(元文部大臣で台湾総督)が 使用していた硯(書の硯石)を 祖父の知人から譲り受け 台湾博物館に寄贈した人 として祖父の名前が 中華民国文化部の資料に載っていました。それを、その検索で知り え、そんなことが祖父にあったのか でした。 

 祖母は、江戸時代中期に始まった 商家の3代目の娘として明治7年に生まれ 従兄からもらった 本家の系譜には 「〇〇家(祖父の家)に嫁す」 と書いてあります。 祖父の事ですが、台湾では、300年近く前から 北部(基隆)で 金が採掘されており 叔母の話しでも 祖父は、金の小さな布袋さん を親戚に配っていた と言っていましたので 結婚した当時の祖父は、学生時代の採鉱冶金科卒の経歴から金鉱関係の仕事をしていたのではと思います。 

 台湾での父の話には、もう一つあり 我が家は、南部(台南)で たばこの葉の工場(加工)をやっていた話しもあり、この話は 祖父ではなく 商家である祖母の実家が その工場を経営していたのでは と思っています。 もう今では聞く事は出来ませんが、この祖父と祖母の 台湾の 北の基隆と 南の台南 の、どこで出会い そして、父がどこで生まれたのか ?です。 尚、父の台湾生まれは 1911年で あの辛亥革命の年で 台湾が大型台風に見舞われました。 で、その110年前のその時に特定の人に配られた写真集が今、私の手元にあります。

 

2. 約100年前の出来事 

 手元にある資料や 親戚の話しなどから 我が家の事(祖父と祖母の事)を いろいろ書きました。 日本が鎖国から開国へ と移り変わり 明治も大正へ と時代は変わっていきますが、父誕生(1911年)から 母誕生(1920年) の 約100年前の大正期(1912年~1926年)の出来事を書いてみます。

 この大正時代は、江戸時代の士農工商の身分制度が 廃止された明治から 民主主義・自由主義を求める 大正デモクラシーと呼ばれる時代に入ります。 大正元年(1912年)には 国民の民意を大事にする護憲運動(藩閥政治を廃止)が始まりました。 そして、世界では 大正3年に 第一次世界大戦が始まり 大正7年まで続きましたが 大正9年には 現在の国際連合に繋がる 国際平和維持機構として 国際連盟が設立され、世界の中で日本の力も注目され始めました。 (この大正9年に母誕生)

 その頃に起きた有名な天変地異としては 現在、防災の日(9月1日)になっている マグニチュード7.9の 関東大震災が 大正12年に発生しました。

 それから大正元年に始まった護憲運動ですが 大正14年には、普通選挙法が公布される時代になってきていましたが 有権者は、人口の20%で 女性には、まだ選挙権はありませんでした。 又、この選挙権を与えるという 普通選挙法は 片側で アメとムチとなる 社会運動を取り締まる 治安維持法も 同時に公布され まだ何事も 混沌としていた時代でした。

 

3. 歴史から知る事 そしてこれから、、、 

 祖父母、そして父母 と 明治 大正 昭和 のいろいろな出来事を書いてきましたが、これからの 私 子供 そして孫達の世界 そして日本は どうなるのでしょうか。

 先日、日本がGDPで韓国に追いつかれたというニュース(OECD加盟国中22位へ)が 入ってきました。 1980年には、「Japan as No.1」 と言われ 産業立国と言われていましたが 残念です。 最近は 「失われた30年」 と言われていますが この日本は、資源が乏しく 産業の育成が無ければ その立国はありません。

 今、地球は 環境汚染(温暖化)が急激に進み これから先が心配され、 今、日本は 少子化(今年の出生数は70万人で、団塊の世代/私の時代の280万人の1/4)で これから先が心配され、 そして世界は 貧富の差の拡大が続き、これから先の民族融和が心配され と言うような状況です。

 私は、もうこの年(来年、喜寿)ですが 日本の これ以上の下落を止めるのは、やはり産業の再活性化しかないと思います。 そこで、これまでの私の職業経験などを生かし 何か次に繋がる産業の育成に絡む仕事(調査、検討、設計や生産の支援や補助などの ボランティア活動)がないだろうか と 今、探しています。 でわでわ

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