団塊ジィジの日々是好日

つれづれに書くエッセイと出来事ブログです

思いが叶ってパン屋さん開業へ (日本一周の旅がパンの風味に)

【雑記・雑学・雑感】 51) 
3月末で9年勤めた会社を退社し、ブログもちょっとお休みし のんびりしていました。
4月に入って24日は私の72歳の誕生日でした。
九州に居る妹から電話があり、「兄ちゃんおめでとう。」で、
「ブログ休んでいるけど調子悪かと?」 でした。
そして、「○○○(甥っ子)がパン作りを始め、今 予約配達販売をやってるよ!」

でした。
永年の思いが叶った甥っ子の事を書いてみます。

 

(目次)
1.  多趣味と日本一周  
2.  日本のパン作り  
3.  これまでの体験・経験を活かした、これからに期待

  
1.  多趣味と日本一周  
昔は銀行もやっていた旧家に嫁いだ妹とその父(義父)の事は、昨年9月のタイトル
『人差し指で“ちょこちょこ”(親しみの表し方の一つです ウン)』に書きましたが、
パン作りを始めた甥っ子は、義父(甥の祖父)の気性を受け継いだような、良いとこ取りの明るさと いつも笑いをそそるその振る舞いで皆を笑わせてくれていました。
小さい時からやっていた少林寺拳法の型では、兄弟でふざけて皆に見せてくれていたのもその一つで、そしてその型の演武が終わったら恥ずかしそうだが、ちょっと自慢気な何とも言えない笑顔も見せていました。
そんな甥っ子も大きくなるにつれて、いろいろな趣味を持ったようです。
やっぱりバンド(音楽)です、そして演劇です。今も仲間とはいろいろやっているようですが、音楽と言えば、一時私の家に居た時にはあの浪曲(浪花節)だけでなく、家内の母(名取)がやっていた詩吟などにも興味を持ちトライしていたのを思い出しました。

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2. 日本のパン作りは?   
パンは戦国時代に、ポルトガルから種子島に鉄砲と共に持ち込まれ、あのフランシスコ・ザビエルらが、一緒に来た西洋人の為に日本でもパン作りを始めたようです。
そして日本人の為に作られたのは、1840年に中国で起こったアヘン戦争がきっかけで、徳川幕府が外国軍が攻めてくることを恐れ、兵糧としてパンを作らせたようで、固いパンは、保存性と携帯性の両面ですぐれている非常食と考えられた為でした。
このときパン作りの指揮をとったのは江川太郎左衛門で、「パンの祖」と言われています。
その後、横浜、神戸など港町を中心にパン作りが広がり、1869年に現存するパン屋では最古の「木村屋総本店」が銀座に開業しました。

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3. これまでの体験・経験を活かした、これからに期待  
甥っ子がいつからパン作りに関心を持ち出したか聞いた事はありませんが、パンだけでなく何事にも挑戦する気持ちは人一倍でしたので、遂には自転車での日本一周の挑戦になりました。
九州を出て本州を走り、北海道(コンブ漁体験)から再び本州に渡り(戻り)、秋には信州(長野)に入り、そしてその頃に神奈川(相模湖)の我が家に連絡があり、一時逗留した後、再び気に入った長野に戻り約半年間居ましたが、その間には介護施設でアルバイトをしながらあっと言う間に介護資格(ホームヘルパー)も取りました。
今やっているパン作りの製品(名)に『賢治』と言うのがありますが、この製品を含め甥っ子の詩人で作家の宮沢賢治(岩手県)に対する思いが、いろいろなパン製品(現在5種類)となったようです。 又、パン作りの小麦粉は、「北海道」や「岩手」のもののようです。 
彼のパン作りについては、FACEBOOKに次の事が書いてありました。
「試作ノート、アイデアノート、久しぶりに読み返してみる。
我ながら、本当に今まで色んな事を考えて模索して試してきたんだなあ、と思う。
一番最初に取り掛かったジョバンニ(『銀河鉄道の夜』がモデル)は、暫定レシピ確定まで試作回数は200を越え 云々」 
とあります。

のめり込む性格とこれまでの体験・経験が正に今に繋がっているようです。
妹から聞く、パン屋さんの話しに戻ります。
旧家ですから建屋はいろいろあり、その一つを改造し役所の許可(承認)ももらいパン作りを始め、今はネットを活用した「予約配達販売」をしているようです。
そしてこのパン屋の仕事と共に、今は「学童保育」にも取り組んでいるとの事で、
①「趣味(音楽と演劇)」
②「パン作り(予約配達販売)」
③「学童保育」
と、今を精一杯生きている甥っ子に 大きな「元気印」をあげたいと思っています。
 ああ、もう一つ 
おじちゃん(私の事/72歳老人)達の事も考え、取得したホームヘルパーの免許も活用し、この ①から③に 加え、我が家(相模湖)で二人で語った浪曲と詩吟を
④「老人ホーム慰問(「△△軒□□」一座? でも”劇団一人”)」
として披露してくれないかなー と期待しています。
慰問は、紐を首から掛けた手作りのべニア板の講釈台(板?)を前にぶら下げ、 名優(迷優)「△△軒□□」として その美声?を皆に披露(浪花節と詩吟を)したらどうですか。
でわでわ

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