【雑記・雑学・雑感】13)
「京都に居るときゃ-しのぶと呼ばれたのぉー」 今回のこのテーマは上の歌詞から始まるあの歌の歌手(小林旭)のギャラ? についてです。
(目次)
1.私のカラオケ歴
2.カラオケはいつごろから
3.月1度の楽しみです
1.私のカラオケ歴
私は声量含めちょっと高い音域などが小林旭に似ている事を飲み友達や上司から言われていました。
そして工場勤務から出て販売推進部に異動した時などは、ちょうどバブル期でもあり、上司のお供で夜ごとの客先接待時など何度となく彼小林旭の歌を歌わされて(いや歌って)いました。 その時は
“ダンチョネ”、“さすらい”、“自動車ショー歌” や“熱き心に”、“北帰行”、そして順子(これは私の妹の名前)いや“純子” など、皆さんからは次々とリクエストがありました。
私は嫌いではないし、飲んでいることもあり、今日が明日になる頃まで何曲も歌っていました。
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2.カラオケはいつごろから
日本のカラオケはいつごろからでしょうか。1950年代から1960年代は大勢の若者が一緒に歌う新宿の“ともしび” そう歌声喫で盛り上がった時代でしたが1970年代に入ると5分間ですが100円で歌えるジュークボックスが出てきて、“空(から)のオーケストラ”としてのカラオケの誕生になり、1980年代に入るとカラオケ店や
カラオケボックスも出てき現在に繋がっています。
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3.月1度の楽しみです
ワンステージ200万円と言われた小林旭の声に良く似ている私ですので、今でもカラオケに行くと私に対して歌のリクエストがあります。その時は、私が“ハイ、200万円ネ!前払いだよ” と言うと“何、言ってんだよ。200円、200円だよ” と言われていますが楽しく歌っています。
幸い、音域と音量がそこそこ有るためいろいろな歌手(布施明、石川さゆり五木ひろしなど)のリクエストがありますが、やっぱり私には“ワンステージ200万円“のリクエストが多く、“やっちゃん(恭雄)オンステージ”となります。
私も月1回 近所のスナックに行って歌っていますが、そこは“毎日が日曜日”のじいちゃんばあちゃんの社交場で、私にリクエストがある度に私の歌は、
「京都に居るときゃー」 です。
“でわでわ”